第八回連載資料

京都国立博物館 <2>

金子静枝(本名 金子錦二)について

プロフィールはたとえば以下に詳しくあるように、展示関連のメンバーに名前を連ねており、博覧会・美術関連に顔の広い人物だったと思います。

『第五回内国勧業博覧会審査官列伝 前編』東京:金港堂,明治36.4 より
死去した際は、日出新聞紙上で追悼記事が連載されています。

時期をあとにしますが、大正10年の京都国立博物館の状況

京都国立博物館百年史』1997.10 より
庭が東西を軸にシンメトリックな構成をしていますが、現在は新館が石仏陳列のところにあるので、構成が崩れました。


京都府写真帖』明治41年より


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現在と比較してみるとよくわかりますが、現在は正門の前にまた門があるような雰囲気です。


『最新實測京都新地圖』明治41年より、人力車が博物館に向かっている様子。
http://tois.nichibun.ac.jp/chizu/santoshi_2245.html



森田慶一設計の京都国立博物館新館
窓にはすべて目張りがされていて、外がうかがえるのは北面のみ(縄文、弥生の古器展示の部屋)でした。

森田慶一の逝去に関連して『建築雑誌』( Vol.98, No.1205)に追悼記事が組まれました。
http://ci.nii.ac.jp/vol_issue/nels/AN00079427/ISS0000216930_jp.html


ドリツク式というのは、写真のように、博物館の両翼に構成された柱(というかデザイン上の柱)をさしているのだと思います。
建物の上に尖っているのは、避雷針です。