第二十回連載資料


今回は岸田日出刀(きしだ・ひでと)を中心に話してみました。わたしがみた岸田の写真のいくつかはカラーの入った眼鏡 - サングラスをかけていますね。きっと好んだのでしょう。
  
岸田日出刀著作一覧は以下にあります(『過去の構成』1951年版が入ってませんが)。
http://www.city.ichikawa.chiba.jp/shisetsu/tosyo/kyo/kishida/list_k.htm
  
著書からすこしチョイスしてみました。(読みやすさを考えて旧字使いは改めています。)
  
『堊(かべ)』 (相模書房 1938) 
このタイトルは見慣れない漢字ですね。辞書を何冊かチェックすると、「かべ」と呼ぶことはしないようです。昭和初期に出た辞書、『大言海』によっても「かべ」とは呼ばないようですが、泥土を柱と柱の間に塗る・・・という解説があります。壁そのものよりも、壁を構成する素材を指しているというニュアンスでしょう。
  
以下、『漢字源』より。


《音読み》 アク/ア/オ(ヲ)
《訓読み》 つち/ぬる
《意味》
1、{名}つち。土台や壁を固める質の細かい粘土質の土。「白堊ハクア(白い土、しっくい、石灰)」
2、アス{動}ぬる。粘土質の土をぬって固める。
《解字》
会意兼形声。亞(=亜)は、地下に四角く掘った土台の形を描いた象形文字。堊は「土+音符亞」で、掘り下げた地盤を築く粘土質の土のこと。亞が、亞流(表面に出ない、その下の、下積みの→第二流の)の意に転用されたため、堊の字でその原義をあらわした

  

p76
三年に一度位の割で京都奈良を廻り、京都から延暦寺日吉神社園城寺石山寺のコースは学生を連れての私の古社寺見学旅行の日程に欠かさず組まれている。(中略)竹生島にはその後一度もいったことがないが、(後略)

p113
窓という窓の上には必ず霧除け庇をつけることも忘れてならぬことである。屋根庇もなく窓上に霧除庇もない豆腐のような木造住宅を平気で設計することは、建築家としての私の良心が許さない。

p127
東京の街は次から次へ変わって行く。
一昔前は言わずもがな、一年も見ないとよくもこんなに変わったなと驚くことがよくある。一度でき上がったものはそんなに変わるものではない。東京の街がそんなによく変わるというのは、東京が一つの都市として未だ完成されていないことの証拠であろう。

p138
百貨店に興味がないように私は東京の銀座というものにさっぱり興味がない。銀座の漫歩は東京人の誇りの一つかもしれないが、時折友人に誘われて銀座の舗道を歩こうものなら、場ちがいの人間が飛び出した感じで、何ともいえぬいらだたしさと不愉快な感情で心の落ち着かぬこと甚だしい。

扉(相模書房 1942)

p231 「建築家辰野金吾
博士の趣味といえば、まず日本刀を愛されたことですが、それも単なる骨董趣味からではありませんでした。名刀の産地をたどって鐵の産地を調べ、それらの鐵と南蛮鐵とを比較し、日本にも質のよい鐵に決して乏しくないとことを究め、国策の上から製鐵事業発展の急務であることを主張するという国家的研究の資料としてでありました。箪笥二棹に一ぱい秘蔵された夥しい日本刀のうち、二尺三寸貞宗の名刀は殊のほか愛玩され、新刀では忠吉なども珍重されましたが、どちらかといえば古刀を愛されました。

窓(相模書房 1948)

p109
アメリカ建築の特質は、日本の建築家がヨーロッパの建築に求めたもの以外の点にあったのである。どうすれば生活をすこしでも能率よくそして快適なものとなしうるかという建築の実質的な方面に、アメリカ建築のよさがあり、「機械設備」を完備して、公私の生活をすこしの無駄もなく気もちのいいものとするという点に、あらゆる計画が集中されているのが、アメリカ建築である。
ヨーロッパの建築は、「形の建築」で、アメリカの建築は「設備の建築」と、強いていえばいえよう。そして日本の建築家は、まず建築に「形」を求めて、セセッション以後のヨーロッパの建築に専ら心をひかれてきたのだが、こうした日本の建築家の態度は、これからはかなり大幅に修正されなければならぬ時世となってきたゆだ。なぜならば、建築が芸術である以上、その造形のことがあくまで重要であることはいうまでもないが、しかも建築はわれわれの生活を容れる器なのであるから、その生活をより能率よく快適なもののしるために、高度の「設備の建築」をぜひとも必要とするものだからである。

岸田は戦前に都市防空対策のため、住宅火災実験をやっています。うしろの建物からして、当時の東京帝国大学で実験していることがわかります。住宅が一棟でなく二棟であること - つまり「延焼」、火事が広がることに対する注意があることがわかります。

火災實驗寫眞 (木造家屋の火災實驗に就て)「建築雑誌」1935年4月号 49(597) pp.459-469
http://ci.nii.ac.jp/naid/110003781049